About this study group

「過去建築圏」からの分離を求めて東京大学を卒業する学生たちが分離派建築会を結成して、まもなく100年を迎えます。

この運動は、20世紀への世紀転換期ヨーロッパ美術界におけるアカデミズムからの分離運動に刺激されて、建築における芸術性の解放を目指した若者たちによる瑞々しい運動として、近代建築の歴史に刻まれています。本研究会では、分離派建築会発足100年を見据えて、現代建築に通じる重大な岐路のひとつであったこの運動の実態と意味とを問い直すことを目的としています。

1920 分離派建築会
結成
2020 結成から100年

連続シンポジウム

春秋(京都/東京)の年2回、2020年まで計8回の開催を予定しています。

  • 分離派建築会発足と「創作」の誕生

    2017年7月8日(土)終了しました。

    <日 時> 2017年7月8日(土)13:00~17:30
    <主 催> 分離派100年研究会
    <会 場> 京都大学吉田キャンパス 百周年時計台記念館 2階 国際交流ホールⅢ
    ※ 参加費無料/申込不要

    ポスター:
  • 開  会: 杉山真魚(岐阜大学 准教授)

  • 趣旨説明: 田路貴浩(京都大学 准教授)

  • 長谷川堯(武蔵野美術大学 名誉教授)|「自己の拡充」の意義――後藤慶二から分離派へ

    建築設計において、設計者自身の「自己」を、建築表現に不可欠な主体者として認めるかどうかを巡って、その必要性を主張する「建築芸術派」が、1910年代の日本の芸術界全般の動きの中で台頭してくる。これに対して、東大建築科のいわゆる「構造派」の教師陣が中心となり、野田俊彦の「建築非芸術論」を前面に押し立てて、猛烈にこれに反発し、教育上のその締めつけが、やがて20年の「分離派建築会」の設立の直接の契機となったとされている。一方、両派の鋭い対立の狭間で、すぐれたデザイナーであり、また先進的な構造技術者でもあった後藤慶二は、「自己の拡充」こそが、最も主要な関心事だと、10年代半ばに書いている。ここではその真意を探り、その後の「分離派」の登場と、彼らの設計者としての軌跡についてあらためて考えてみたい。

    長谷川堯『神殿か獄舎か』鹿島出版会;「大正建築の史的素描」、建築雑誌、1970年1月号

  • 南明日香(相模女子大学学芸学部 教授)|大正期の美術における「創作」意識

    建築設計において、設計者自身の「自己」を、建築表現に不可欠な主体者として認めるかどうかを巡って、その必要性を主張する「建築芸術派」が、1910年代の日本の芸術界全般の動きの中で台頭してくる。これに対して、東大建築科のいわゆる「構造派」の教師陣が中心となり、野田俊彦の「建築非芸術論」を前面に押し立てて、猛烈にこれに反発し、教育上のその締めつけが、やがて20年の「分離派建築会」の設立の直接の契機となったとされている。一方、両派の鋭い対立の狭間で、すぐれたデザイナーであり、また先進的な構造技術者でもあった後藤慶二は、「自己の拡充」こそが、最も主要な関心事だと、10年代半ばに書いている。ここではその真意を探り、その後の「分離派」の登場と、彼らの設計者としての軌跡についてあらためて考えてみたい。

    南明日香「高村光太郎とロダンの言葉 ─造形の言語から文学の言語へ」、相模女子大学紀要 A 人文・社会系、64A、2000

  • 飯嶋裕治(九州大学基幹教育院 准教授)|分離派建築会の思想史的背景──和辻哲郎を中心に

    本発表の課題は、分離派建築会による「芸術としての建築」という主張が提起されてくる背景を、明治末から大正期にかけての思潮の中に探ることにある。そこで注目したいのは、分離派の若き建築家たちよりも数年年長で、当時文壇・論壇で活躍し始めていた和辻哲郎の動向である。西洋近代の「芸術」観の受容や教養主義といった時代背景の下で、和辻が「自己表現」としての創作や「民族」の根源的な想像力・創造力についてどんな思想を語り出していたかを見ることで、特に堀口捨己との注目すべき同時代性を確認できるはずである。

    飯嶋裕治「大正改元期における和辻哲郎と田中王堂 ─教養主義・ニーチェ解釈・日本文化研究─」、比較文學研究、100号、2015年6月

  • 笠原一人(京都工芸繊維大学 助教)|武田五一のセセッション受容と創作

    武田五一は、日本においていち早くヨーロッパのセセッション(分離派)を紹介し、そのデザインを普及させた建築家として知られる。しかしその活動は単なる紹介に留まらなかった。武田は、新しい建築は日本の伝統や独自の風土性を基に創られるべきだと考え、本質的な意味での「日本のセセッション」の実践を試みた。そのデザインや方法はいわゆる折衷主義的なものであったが、そこには「建築進化論」を唱え「妖怪」を好んだ建築家伊東忠太の影響が感じられる。武田と伊東を繋ぐことで、日本のセセッションのもう一つのルーツを探ってみたい。

  • 討論 大正時代と「創作」の誕生

  • 長谷川堯・南明日香・飯嶋裕治・笠原一人|モデレーター:市川秀和(福井工業大学 教授)

  • 閉  会: 加藤耕一(東京大学 准教授)

  • 分離派建築会と建築における「田園的なもの」

    2018年6月16日(土)

    <日 時> 2018年6月16日(土)13:30~17:30
    <主 催> 分離派100年研究会
    <会 場> 京都大学楽友会館2階会議・講演室(京都市左京区吉田二本松町)
    <定 員> 100名(参加費無料/先着順)


    ◆開催趣旨◆
    分離派建築会が発足された当時、社会にはデモクラシーの潮流が現れたり、ロシア革命に後押しされて社会主義思想が隆盛をみたりするなど、「大衆」や「民衆」に即した種々の主義や主張が生まれた。社会や精神の「改造」が叫ばれ、人々の眼差しは新しい都会・都市と伝統的な田舎・地方の両者に向けられた。本シンポジウムでは、分離派建築会のメンバーが新しい創作を標榜しつつも、堀口捨己の「紫烟荘」、瀧澤眞弓の「日本農民美術研究所」、蔵田周忠の一連の田園住宅など、民家(農家)に着想を得たと考えられる作品を残していることに注目する。「田園的なもの」「地方的なもの」がかれらの建築制作のモティーフに数えられたのは、刻々と変化する日常生活に対するひとつの応答であり、そこには表層的な模倣を超えた意味があったと考えられる。近代建築の多様化と均質化の中でかれらが摂取した地方性の問題について、分離派建築会の活動と同時期に創始された民藝(=民衆的工藝)運動も視野に入れながら検討したい。

    ポスター:

  • 全体進行: 本橋仁(京都国立近代美術館)

  • 開会挨拶: 市川秀和(福井工業大学)

  • 第1部

    各論発表

  • 杉山真魚(岐阜大学)|「田園」をめぐる思想の見取り図

    分離派建築会の第5回展(1926年1月)には、堀口捨己の「茅葺住家」、蔵田周忠の「住宅の一群」、矢田茂の「窯業家の住宅」など「田園」の要素をもつと思われる作品が多く出展された。同年6月に蔵田は『近代英国田園住宅抄』を刊行した。分離派建築会会員による「田園」に関わる言説や作品を辿ると、都市およびその郊外に建てられる文化住宅との関わりの中で「田園」が主題化され、そこには非都市的思考、反都市的思考、都市的思考という3つのパラダイムが存在していたことが見えてくる。いずれも建築家の個性を抑制的に扱いながら材料や民衆のもつ自然さや素朴さを創作に取り込むという共通の姿勢を有している。

  • 菊地潤(オガワホーム)| 瀧澤眞弓設計「日本農民美術研究所」

    瀧澤眞弓が山本鼎の日本農民美術研究所の本拠建物を1922(大正11)年に設計していたことはこれまで殆ど知られてこなかった。一見古民家風のたたずまいはそれまでの瀧澤の計画案にはみられなかったものであり、また実際に建てられた建物は瀧澤にとっての事実上の処女作(仮設展示館を除き)であったにも拘らず、発表された形跡さえ見られない。農民美術研究所の建物にはこうした謎めいた点があるが、単なる興味本位としてではなく大正期の瀧澤の思考を知る鍵になり得るのではないかと考え注目している。今回はまず現在の長野県上田市にあたる農村「神川(かんがわ)村」において、山本鼎が1919(大正8)年に興した農民美術運動の概要を紹介する。そして遺された瀧澤の設計図面や資料の報告を交えつつ、分離派建築家としての瀧澤と農民美術との出会いがもたらしたものを考えてみたい。

  • 鞍田崇(明治大学)| ノイズとしての「田園」―民藝運動とその時代

    民藝運動は、その草創期より、時代のオルタナティブを追究するものでした。運動のリーダー柳宗悦は、その主著『工藝の道』(1928)の中で、民藝という視点に立脚した新たな美の提示を「価値転倒」の試みとしています。彼らが注目したのは、世間的にも歴史的にも評価されないままだった雑器でした。いうならば、既知の言説に馴染んだ耳には意味をなさない、雑音でしかない、ノイズ的なものたち。あえて「民藝」という新しいコトバを造語した点にも、そうしたものへの関心はうかがえます。設立時期をほぼおなじくする分離派建築会にもまた同様の時代に対する姿勢があったのではないでしょうか。彼らが注目した「田園」とはまさにそうしたものだったのではないでしょうか。その現代的意義を考えます。

    参考文献 「堀口捨己が見た建築における『常滑的なもの』」『とこなめ陶の森 研究紀要Ⅰ』、pp.13-44、2017.3

  • 田路貴浩(京都大学)| 堀口捨巳のまなざしと心性

    堀口捨己は生涯にわたって建築と庭を一体的に探求した建築家である。建築と庭を制作しただけでなく、茶室を研究し、茶をたしなみ、短歌を詠んだ。そうした営みのなかで、まなざしはつねに自然の生命へ向けられていた。学生時代から短歌の制作を始め、北原白秋に近づき、写生をとおした生命の観照を学ぶ。そしてオランダでアムステルダム派の藁葺き屋根レンガ造住宅に出会い、帰国後、それに強く影響された「紫烟荘」を完成させた。茅葺き屋根に漆喰やレンガを使ったこの住宅で、堀口は田園の「地上的な原始的な静けさ、朗さ、円やかさ」を試みたのだった。

    参考文献 Takahiro TAJI, Le regard et la sensibilité de Horiguchi Sutemi, in N. Fiévé et B. Jacquet (Sous la direction de), Vers une modernité architecturale et paysagère, Paris, 2013

  • 第2部

    ディスカッション:都市と田園、あるいは田園都市

  • パネリスト:杉山真魚・菊地潤・鞍田崇・田路貴浩 | モデレーター:岡山理香(東京都市大学)

  • 閉会挨拶: 加藤耕一(東京大学)

分離派100年研究会メンバー

(敬称略・五十音順)

天内 大樹

静岡文化芸術大学

池田 祐子

国立西洋美術館

市川 秀和

福井工業大学

大村 理恵子

パナソニック汐留ミュージアム

岡山 理香

東京都市大学

勝原 基貴

文化庁国立近現代建築資料館

加藤 耕一

東京大学

河田 智成

広島工業大学

菊地 潤

設計士・オガワホーム株式会社勤務

近藤 康子

京都橘大学

杉山 真魚

岐阜大学

大宮司勝弘

東京家政学院大学

田路 貴浩

京都大学

田所辰之助

日本大学

角田 真弓

東京大学

本橋 仁

京都国立近代美術館

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